白虎隊の足跡をたどる、会津の歴史ロマンフットパス

――戊辰戦争の終盤、会津の地に散った少年たちがいました。
その名は「白虎隊」。
わずか16〜17歳という若さで、故郷と誇りを守るために戦い抜いた彼らの足跡は、今も飯盛山に静かに刻まれています。
会津フットパス「歴史名所巡り〜飯盛山と滝沢地区〜」のコースを歩くとき、そこは単なる散策路ではありません。
石段を一歩進むごとに、150年前の祈りと忠義の声が風に溶けて響くようです。
本記事では、白虎隊の物語と彼らが歩いた実際の地をたどりながら、
会津の心と祈りが今も静かに受け継がれる“歴史ロマン”を感じるフットパスの旅を紹介します。
歩きながら感じる“歴史の鼓動”が、きっとあなたの心にも静かな感動を残すでしょう。
少年たちの誓い:白虎隊の誕生
若き命を懸けた決意
1868年、戊辰戦争の戦火が会津に迫りました。
新政府軍と旧幕府軍の戦いが激化する中、会津藩は徹底抗戦を選び、藩士の子弟たちは藩校「日新館」で武士の道を学んでいました。
その中から選ばれたのが、16〜17歳の少年で構成された「白虎隊」です。彼らは本来、予備兵力として後方支援を担う予定でしたが、戦況が悪化すると自ら志願して前線に赴いたのです。
幼いながらも「忠義」「誠実」「義を貫く心」を教え込まれていた少年たちは、命を懸けてでも藩主と郷土を守る覚悟を持っていました。
白虎隊の結成は、単なる軍事組織ではなく、会津藩が誇る教育の象徴でもありました。
その精神は今もなお、「会津武士道」として語り継がれています。
飯盛山へ――運命の行軍
慶応4年(1868)8月23日、会津藩の白虎隊は戸ノ口原の戦いで敗れました。
連日の戦闘で疲れ果てた少年たちは、仲間を支え合いながら川沿いの道を頼りに退却していきます。

その途中で通ったのが「戸ノ口堰洞穴(とのくちせきどうけつ)」です。
水路として掘られた全長約150メートルの洞穴は、暗く湿っていて、岩肌に手をつきながら進むような厳しい道でした。やがて、出口の光が差し込みます。まるで生と死の境界を越えるような瞬間だったことでしょう。
洞穴を抜け飯盛山に辿り着いた白虎隊は、高台から天守閣の方向を見下ろすと、黒い煙が立ちのぼり、天守閣が赤く染まっているように見えました。
炎の正体は、城下町に残る女性たちが足手纏いにならないよう火をつけ、炎の壁を作って敵の侵入を防いでいたのです。
落城を悟った白虎隊士たちは、敵の手にかかって恥じをさらすのではなく、会津武士としての誇りと忠義を貫くことを選び、飯盛山で自刃しました。
自刃したのは十九人で、後に「白虎隊十九士」と呼ばれるようになります。
若き隊士たちの忠義と覚悟は、今も会津の人々の心に深く刻まれています。
飯盛山に刻まれた祈り
静寂に包まれた十九士の墓

現在、飯盛山の中腹には白虎隊十九士の墓が並んでいます。
それぞれの墓には名前と年齢が刻まれてあり、訪れる人々はその若さに胸を打たれます。
16歳、17歳――あまりにも短い人生ですが、その心の強さは時代を超えて会津の人々の誇りとなっています。
修学旅行の生徒、地元の人々、そして遠方から訪れる旅人。
誰もが手を合わせ、静かに彼らの勇気と忠義に思いを馳せます。
飯盛山は、単なる史跡ではなく、会津の“祈りの地”として今も静かに語りかけてくれます。
さざえ堂と白虎隊伝承史学館
飯盛山の麓には、世界的にも珍しい二重らせん構造の木造建築「さざえ堂」が建っています。
1796年に建立されたこの建物は、上りと下りの通路が交わらない独特の構造を持ち、“人が交わらずとも同じ道を歩む”という会津の精神を象徴しています。

参道の入り口には「白虎隊伝承史学館」があります。白虎隊や新撰組、戊辰戦争当時の武具や写真、女性の化粧道具など、ここでしか見ることができないものばかりが展示されています。
当時の武具を目にすると、歴史が一気に身近に感じられます。
「白虎隊伝承史学館」で歴史に触れてから参道を通り、さざえ堂、⽩⻁隊墓前と歩いていくのがベスト。
「伝承茶屋」も併設されているのでひと休みにピッタリです。
会津武士道に生きた少年たち
忠義と誇りの象徴

白虎隊の物語は、戦の記録にとどまるものではありません。
彼らは「恥を知り、義を重んじる」という会津藩の家訓「ならぬことはならぬものです」を胸に行動しました。
飯盛山での自刃は悲劇ではありますが、同時に「武士としての美徳」の象徴でもあります。
彼らの選択には、恐れや迷いを超えた“覚悟”があり、その姿勢が今も多くの人々の心に深い感動を与えています。
語り継がれる会津の精神
白虎隊の精神は、今も会津若松の人々の中で生き続けています。
また、地元の学校では白虎隊の歴史が道徳教育の教材として取り上げられ、次の世代へと受け継がれています。
白虎隊の足跡をたどる旅は、「誇り」「忠義」「祈り」を胸に刻む心の旅。
会津の風に触れ、少年たちの声に耳を傾けながら歩けば、変わらぬ人の強さと優しさがきっと見えてくるはずです。
人々はこの出来事を“悲しみ”ではなく“志”として語り継ぎ、毎年4月24日と9月24日8に開催される「白虎隊慰霊祭」では、飯盛山の白虎隊士墓前で、慰霊祭と会津高校生徒による「白虎隊剣舞」の奉納が行われます。
白虎隊を歩く:歴史ロマンフットパスの魅力
飯盛山から滝沢地区へ――歩いて感じる会津の記憶
会津フットパス「歴史名所巡り〜飯盛山と滝沢地区〜」は、白虎隊の足跡を辿ることができるコースです。
飯盛山を起点に、滝沢本陣や妙国寺など、幕末の会津を象徴する史跡を巡るルートになっています。
この道を歩くことで、白虎隊だけでなく、会津全体がどのように時代を生き抜いたのかを感じ取ることができます。
歴史を“知る”だけでなく、“感じる”旅がここにはあります。
「飯盛山洞門くぐりフットパス」――特別な体験
毎年10月に開催される「洞門くぐりフットパス」では、普段は立ち入れない戸ノ口堰洞穴を実際にくぐることができます。
暗闇の中を歩くと、水の音が反響し、当時の少年たちが必死に進んだ光景が目に浮かかんできます。
洞穴を抜けた瞬間、外の光が差し込み、まるで過去から現在へと時を超えたような感覚に。
このイベントは、単なる観光ではなく、“白虎隊の道を歩く”という追体験。
歩き終えた後に見える飯盛山の景色は、何倍も胸に染みることでしょう。

