戊辰戦争と会津の女たち――娘子隊の歴史
戊辰戦争と会津の地
幕末、1868年。
新政府軍と旧幕府軍の戦いが激化する戊辰戦争の中で、会津藩は徹底抗戦を選びました。
鶴ヶ城を中心とした籠城戦が始まると、城下町は激しい戦火に包まれていきます。
その緊迫した状況のなかで、十代の少女や若い女性たちが、それぞれの意思で役割を担い始めました。
のちに「娘子隊(じょうしたい)」と呼ばれるようになる女性たちです。
※「娘子隊」という名称は、当時の公式な部隊名ではなく、明治以降に用いられるようになった呼称です。
娘子隊とはどのような人たちだったのか
娘子隊は、十代後半から二十代前半の女性を中心とした集まりでした。
藩士の娘や町人の女性などが含まれており、軍制上の正規部隊ではありません。
彼女たちが担っていた役割として、史料から確認できるのは、
- 負傷兵の看護
- 炊事や物資の運搬
- 城下や周辺地域の警護
といった、戦いを支えるための働きが中心でした。
籠城戦という非常時のなかで、薙刀などを携えて防衛にあたった女性がいたことも記録に残されていますが、それは組織的な戦闘というより、状況に応じた行動であったと考えられています。
なぜ彼女たちは立ち上がったのか
会津では、武家の女性が薙刀を学ぶことは珍しいことではありませんでした。
それは戦うためというより、「いざという時に、自分と家族の名誉を守るため」の備えでした。
新政府軍の侵攻が迫るなか、彼女たちは避難ではなく、自らの意思で役割を引き受けます。
家族や仲間、そして生まれ育った土地を守りたい――その思いが、行動へとつながっていったのでしょう。
当時としては決して一般的な選択ではありませんでしたが、会津の風土のなかでは、ごく自然に受け止められていたとも考えられます。
戊辰戦争と娘子隊の出陣
鶴ヶ城をめぐる戦いが激しさを増すなか、娘子隊は後方支援にとどまらず、実際の戦闘に遭遇する場面もありました。
敵軍が迫るなかで薙刀を手に立ち向かった女性たちもおり、
「婦女の辱めを受けることなく」という当時の価値観のもと、誇りを守ろうとした姿が伝えられています。
家族を失った少女もいましたが、それでも仲間とともに役割を果たそうとした彼女たちの姿は、周囲の人々に強い印象を残しました。
娘子隊は、単なる補助的存在ではなく、精神的にも会津を支えた存在だったといえるでしょう。
日新館と会津の教育理念
会津藩の教育を語るうえで、藩校・日新館の存在は欠かせません。
日新館は藩士の男子のみが学ぶ学校であり、女子が通うことはありませんでした。
しかし、日新館で学ばれた
- 誠実であること
- 義を重んじること
- 自分に恥じない生き方を貫くこと
といった教えは、家庭を通じて娘や妹たちにも伝えられていきました。
「ならぬことはならぬものです」という言葉に象徴される倫理観は、学校の内にとどまらず、会津の暮らしそのものに根づいていたのです。
娘子隊の行動は、こうした生活文化の延長線上にあったといえるでしょう。
娘子隊と白虎隊――二つの若き物語
会津戦争を語るとき、16〜17歳の少年たちから成る白虎隊の存在も忘れることはできません。
白虎隊が「忠義」の象徴として語られることが多いのに対し、
娘子隊は「誇り」を体現した存在といえるでしょう。
性別や立場は異なっていても、
「会津を思い、そのために行動した」という点で、両者は深く通じ合っています。
中野竹子――誇り高き薙刀の女戦士

娘子隊を語るうえで欠かせない人物が、中野竹子(1847–1868)です。
学問と武芸に秀で、薙刀の名手として知られた竹子は、母・妹の優子とともに戦場へ向かいました。教養を重んじる会津の教育の中で育った竹子は、「義を重んじ、誇りをもって生きる」という武士道の精神を体現した女性でした。
慶応4年(1868)8月25日、涙橋(現・会津若松市湯川町)での戦いの中、銃弾を受けました。
捕縛されることを避けるため、妹に介錯を頼んだという話は、後世の記録に残されています。
辞世の句
武士(もののふ)の
猛き心にくらぶれば
数にも入らぬ我が身ながらも
その首は白布に包まれて葬られ、現在は法界寺(会津坂下町)に墓碑が残っています。
「会津武士道」を生きた女性たち
娘子隊の生き方には、会津武士道の精神――
「義を重んじ、恥を知り、信を貫く」が深く根づいていました。
会津武士道は、決して“男の教え”ではなく、“人としての生き方”。
娘子隊はその姿を通して、「女性もまた義を貫くことができる」という事実を、静かに時代へと伝えたのです。
戦後を生きた娘子隊の女性たち
戦いを生き延びた娘子隊の仲間たちは、やがて日常の暮らしへと戻っていきました。
中野竹子の妹・優子は教育に携わり、多くの女性たちは家庭を築き、地域社会の再建を支えました。
彼女たちは剣ではなく言葉と行動で、会津の精神を未来へと受け継ぎました。
戦場での勇気だけでなく、日々を誠実に生き抜くこともまた、会津の精神のひとつだったのです。
現代に受け継がれる娘子隊の記憶
現在の会津では、祭りや地域学習、史跡を通して娘子隊の物語が語り継がれています。
それは過去を称えるためだけでなく、「自分はどう生きるのか」を考えるための物語でもあります。
娘子隊の存在は、教育・文化・観光を結ぶ“生きた記憶”として、今も息づいています。
変わらぬ心、未来へのメッセージ
娘子隊の歴史は、単なる戦いの記録ではなく、“生き方の物語”です。
信念を貫く強さ、仲間を思う優しさ、そして揺るがぬ志――それこそが会津の魂。
少女たちの勇気は、時代を超えて私たちに問いかけます。
「あなたは、自分の信じる道を貫けますか?」

